酔いどれオンジの随想録(エセー)

酔いどれオンジの随想録(エセー)

日常系の随想録です。

懲りない

たまに天ぷらを食べたくなる時がある。
しかし、ほぼ毎回、途中で必ず挫折してしまう俺は、経験上天ぷらのコースは頼まない。挫折感が酷いからだ。

今まで、天ぷらで印象に残っている店は、京都にある店で、所謂、個室天ぷら(部屋の隅に調理場を設けて揚げてくれる)で、油も優しく、高級感抜群。最高に情緒があった。
しかし、途中で挫折した。

天ぷらは、関東の方が種のバリエーションが多い。
やはり、天ぷらの歴史がちがうからだと思う。
東京在住の時はカウンターに座り、目の前で好きなものを揚げてくれる店にも通った。
挫折しなくて済むしな。

天ぷらは、室町時代に、ポルトガルから伝わったとされている。
テンポーラが語源で、カトリックの肉を断食する時に食べられていたとされている。
その後、安土桃山時代に長崎天ぷら(魚介と肉)が関西に渡り野菜を菜種油で揚げ塩を付けて食べた。
その後、江戸に伝えられ、蕎麦、寿司、だんご、焼きイカと同じく屋台で売られ庶民のファストフードとして発達していった。
当時は魚介類だけを胡麻油で揚げ天つゆと大根おろしで食べ、1串4文(50円程度)で売られていたそうだ。
天ぷらが全国に広まったのは、関東大震災により、関東、関西の職人の交流があり魚介類と野菜を揚げる今の形となったのだ、と俺は勝手に思っている。

天ぷらの俺の流儀は海老、アナゴ、タコ、イカ、貝柱、旬の魚介類等から2種類、旬の野菜から1種類、最後にかき揚で〆る。それ以上食べると、もたれる。
魚介類は天つゆ大根おろし、野菜は塩で食べる。

たまに悪魔が俺に囁く。
身体が揚げ物を欲していますよ、天ぷらか串カツが良いですよ。
簡単に囁きにのってしまう俺。何回も同じ事を繰り返してしまうのだ。

俺は懲りないタイプかもしれん(今頃!)。
もうそろそろ心が複雑骨折しそうだ。

てんこ盛りことわざ

俺の上司だった人には当然十人十色で色んなタイプの人がいた。

俺の若い頃の上司に、良く諺を使って話をする人がおった。

何回も聞くと飽きてくるんやが、何度も聞くと、結構覚えるし、役に立った。

 

〇石の上にも3年(辛いことも我慢していれば好転してくる)

⇒石の上にも3年という言葉があるように、今厳しい時期だが我慢して頑張ってくれ、と上司は言った。

【時は金なりと言う事もあるし、3年は長すぎるのでは?3年も石の上に座ってたら骨ボロボロ。】と俺の心が呟く

 

〇二兎を追う者は一兎も得ず(  同時に二つの事を成し遂げようしても結局どちらも失敗に終わる)

 ⇒たくさんの目標を掲げて大丈夫か?二兎を追う者は一兎も得ずの結果になるんと違うか?

【一石二鳥という事もあるし、数撃てば当たる事もあるけどな、ほぼマグレやけどな。】                     

〇三人寄れば文殊の知恵(三人集まって相談すれば何か良い知恵が浮かぶものだ)

⇒来季のチームの活動目標は第一段階としてチームで相談してくれ三人寄れば文殊の知恵と言うし。

【うちのチームは4人やからまとめるのは難しいと思うんや。ただ、普通の4人麻雀は出来るけど。】

急がば回れ(急いている時こそ慎重に、遠回りでも確実な道を行くよう)

⇒ここは時間が掛かっても慎重に対応してくれ。急がば回れと言うしな。

【善は急げと言う事もあるしな。】

その他

嘘八百(嘘ばっかり、まったくの出鱈目)

【嘘を八百もついたら一つぐらい詐欺罪に当たるんと違うか?】

〇果報は寝て待て(やるべき事をやったら後は結果がでるまで何もすることがない、寝ることぐらいしか。)

【ホンマに寝ても注意はせんと約束してくれるんか?】

〇猫の手も借りたい(忙しすぎるて少しでも手伝いが必要)

【うちの愛猫クロかしてもええで!】

〇煮え湯を飲まされる(信頼していた者に裏切られる)

【ホンマに飲んだら火傷だけで済まんんやろ!】

〇エビで鯛を釣る(少量の元手やわずかな努力で大きな利益を得る)

【それ普通やろ、エビを餌にするの!!】

〇糠に釘(手応えや効き目が全くない)

【漬物の糠床に釘を入れるとええ仕事しまっせ!鉄分もとれる。】

 

残念やけどその上司はその後退職していった。立つ鳥跡を思い切り濁して。

【で】と【が】は大違い

一字の使い方で、相手に与える印象が違ってくることがある。
時には、一字の使い方を誤ったせいで、相手を、不愉快にさせてしまうこともある。

たとえば、【で】と【が】の使い方や。
現役会社員時代、新人社員さん方を慰労するため、一緒に、食事に行くことになったときのことだ。
「和か、洋どちらがいい?」と尋ねたら、その社員さんは、「和で良いです」と言った。
別の社員さんは、「和がいいです」と言った。回答は同じだったのだが、社員さん双方の【で】と【が】が違うだけで、俺が受けた印象が、全然違ったのだ。


・「【で】いい」は、ないんちゃうん?
・俺の聞き方が間違ったのか?
・もしかして、和も洋も、どちらも不満で、仕方なく和を選んだってことなんか?
・次から、和か洋か中華かイタリアンかフレンチか…と聞くのは邪魔くさいから、「何が食べたい?」と聞けばいいのか?


などと、いろいろ考えていたら、モヤモヤしてきたのを思い出す。


また、別の機会にも、似たようなことがあった。
部署で、希望の担当先を決めるときのことだ。
ある社員さんは、「A社【で】いいです」と答え、別の社員さんは、「私もA社【が】いいです」と答えた。俺は、当然、「A社【が】いいです」と答えた社員さんに、担当を任せることにした。

思うに、一瞬のイメージで、【が】は肯定的、前向き、積極性を感じるのだが、【で】は否定的、やる気なし、消極的に感じてしまうのが原因だと思う。

ちょっとした一言で、自分の希望が通るか、通らないかが変わってくることがあるのだ。
【で】と【が】では大違い。月とすっぽんや!

…。すっぽんを食べたくなってきたので、近々、すっぽんを食べに行こう。

子どものころの思い出

誰にでも、食べ物の、好き嫌いはあると思う。

特に、今の子供は、好き嫌いが多いのだと聞く。

やはり、今は、食材が豊富で、色んな選択肢があるからだと思う。

菓子類果物類も豊富で、主食を食べなくても、代わりになるものがいっぱいあり、自分の好きなものだけで、十分、満腹感が得られる。飽食の時代やからな。

 

しかし、俺の子供の時代は違う。

俺も、周りの友達も、ほぼ好き嫌いはなかった。

やはり、今とは違い、食料が豊富ではなかったからだろう。

 

当時は、好き嫌いをしている場合やなかった。

常に、腹を減らしている状態で、兎に角、腹を満たすのが第一であった。

そんな中でも、どうしても好きになれない、苦手な食べ物があった。

現代の子と違うのは、苦手だとしても、当然のように、食べるのだ。食べなければ、腹が減るから。

俺に苦手なもの、それは、給食に出る脱脂粉乳だ。

その当時、俺は、「悪魔の飲み物」と言っていた。当時の脱脂粉乳は、兎に角、ニオう。ドロドロとしていて、泥水のような感触だ(泥水は飲んだ事はないけれど)。

 

当時の脱脂粉乳を一気に飲むには、ちょっとしたコツがいる。

適当な温度が重要で(熱すぎると一気に飲めない)、息を止めて(息をすると飲んだものが戻ろうとしてくる)、一気に流し込み(ゆっくり飲むと飲んだものが戻ろうとしてくる)、飲んだ後、暫く呼吸停止をするのだ(残り香で飲んだものが戻ろうとしてくる)。

俺は、一度も失敗したことはないが、友達らは、何度か、油断をしたために、見事な白い噴水を見せてくれた。

バリウムを、息を止めて、流しこみ、飲んだ後も、ゲップをしたらいけない状態と似ている。あの頃は、毎日が、バリウム検査だった。

おばいけ

就職してから、初めて、広島で一人暮らしをした。

一番困ったのは、休みの日の食事やった。

インスタントラーメンばかりでは飽きる。

仕事上、時間が不規則のため、日頃の食事は、外食(と言うより飲み歩き)で、休日だけ自炊すると食材が余ってしまう。

家の前には、喫茶店があったが、夕方には閉まり、アルコールは置いていない。

近所に焼肉屋が一軒あったが、一人で入れる雰囲気ではなかった。

ちょっと足を伸ばしてみると、【めし】と書いた、所謂、大衆食堂を見つけた。

思い切って入ってみた。

休日の夕方だったこともあり、客はいなかった。

店主と思われる60代後半の女性と、奥の小上がりには、柴犬がちょこんと座っていた。

店内を見渡すと、うどん、蕎麦、カレー、ビール、日本酒等の張り紙、奥には冷蔵ケースに惣菜が並べられている。

ケースの上に【オバイケあります】と書いた張り紙。

思わず、「オバイケって何ですか」と聞いた。

店主によれば、「クジラのさらしたん」というらしい。

ケースを覗いてみると、大阪で言う、「オバケ」やった。

 

取り敢えず、オバイケを取り、ビールを頼んだ。

大阪で、オバケを食べても、何とも思わなかったが、ここのオバイケは、良く冷えて、酢味噌とのコラボレーションが最高だった。

店主の話では、中国地方では良く食べられており、特に、山口県では、クジラ関連は美味いとの事だった。

その後、日本酒を注文し、イカ刺しとサバの塩焼きを食べ、豆腐の味噌汁で〆た。

 

オバイケがキッカケで、この店には、週に1回、通う様になった。

俺が、大衆食堂が好きになった原点の店であり、今の食癖の原点となった。

 

しかしながら、広島勤務は、2年近くで、その後、転勤となった。

転勤後、6年近く経過し、たまたま広島に行く用事があり、久しぶりに店に寄ってみたが、すでに、店はなくなっていた。非常に残念だ。

どっちがホンマ?

少し前に、テレビのニュースで商品の値上げがされるというのを見た。

子供のお菓子の値上げをすると言う話題で、10円~20円上がるか、内容量を少なくするかどちらかの対応にするという内容だった。

このことで、インタビューに答えた主婦が、「もう、子供に満足に食べさせられない」との嘆きのコメントしていた。

確かに、ちりも積もれば山となる、かもしれないが。

 

その後の番組で、人気の、お得な高級ランチの特集をしていた。

イタリアン料理が2800円、フランス料理3000円、寿司懐石が3500円の内容だ。

リポーターと主婦客のコメントは、「安くて美味しい」、「月に2回は来ている」、「コスパがすごい」というものだ。

 

サラリーマンを長年やってきた俺としては、これらのコメントを聞いて、もやもやしてきた。怒り心頭や!!

俺の知る限り、当時、多くのサラリーマンは、家から弁当持参するか、外食するなら1000円以内の店を探すというパターンだった。

知人の中には、300円台の弁当で済ましたり、カップ麺とおにぎりという奴もいた。

このコメントをした妻の家庭が、激安ランチで日々過ごすサラリーマンの家庭なら、この妻の旦那が見たら、泣くと思う。

 

大体、最初のニュースと、後の番組内容のギャップはなんなんや。

まあ、子供にはちゃんと食べさしてやってや!

半助は何処にいった?

鰻を食べて、思い出したことがある。
昔々、俺が、小学校に入学する頃、家族で、デパートへ行った。
その帰りに、鰻専門店兼川魚専門店(だったと思う)で、鰻のかば焼きと、大量の鰻の頭(半助と言う)を買った記憶がある。
こんな沢山な鰻の頭をどうすんねん、と、子供心に思った事を思い出したのだ。
ところで、あの、大量の半助を、どのようにして食べたのか?
必死になって思い出さそうとしたが、なぜか記憶が曖昧。

多分、祖母が、半助と豆腐とネギを炊いた料理にしたような気がしてきた。
また、半助を、吸い物にしていたようにも思う。・・・思い違いかもしれない。
どちらにしても、とても懐かしい思い出だ。

記憶が曖昧であるということは、当時、鰻は、子供だった俺にとって、特別美味しいものではなかったのだろう。
大人になった今では、鰻が大好物なのだが。

今、スーパー、デパート等に行くと、鰻の肝串が売っている。が、半助は売っていない。
居酒屋で、鰻の肝を出すが、半助の料理を出すところは、無いと思う。

興味がわいたので、半助について調べてみた。
鰻の頭は、関東では食べないが、関西では食べるので、調理の仕方が変わるそうだ。
つまり、関東は頭を落として焼く、関西は一匹丸ごと焼いてから頭を落とす。
関西では、始末の精神からか、食材を捨てることはしない。
半助からは良い出汁が出るし、半助はコラーゲンも豊富だ。
そもそも、何故、半助と言うのか。
明治時代、1円を、円助と言ったが、当時、鰻の頭は、50銭で売られていたらしい。
だから、1円の半分、つまり、半助と呼ばれたらしい。
そして、今、半助は何処にいったのだ?!

言うたもん勝ちの、俺の、勝手な解釈を述べておく。
昔は、鰻のかば焼き等は、店に行って食べるのが主流だったが、今は、家庭でも食べる人が多くなった。スーパーに行っても、頭がついたまま、一匹丸ごと売ることが増えたため、半助が大量に出ない。また、半助が大量に出たとしても、高く売れないので、結局、市場には出ない。
だから、鰻屋で出る半助は、かば焼きのタレの出汁として使われているのではないか?
半助が手に入らない以上、あの懐かしい半助豆腐は、食べれないだろうな。
今の料理に近いのは、肉豆腐だろうか。
今日は、肉豆腐でも作るとしよう。